稚内日ロ経済交流協会

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来年ネヴェリスクと稚内間で友好と協力についての協定調印時から40年になる。
この記念祭は姉妹都市によって広く祝われる。
日本代表団のサハリン訪問時に浜森辰雄氏(32年間稚内市長を勤めた)と、ネヴェリスク市執行委員会議長ヴィクトル・ズドールによって初めて文化・スポーツ・経済交流の協定に調印された1972年に姉妹関係と交流の基礎が置かれた。
このことはサハリンと北海道間の善隣相互関係の強化のための重要な意義をもつ一歩であった。
2012年にネヴェリスク市と稚内市の姉妹都市交流40周年に向けられた行事の共同計画と組織化問題はネヴェリスク市長ヴラヂーミル・パクと稚内市サハリン事務所の渡辺所長との会談で協議された。
記念祝賀の枠内で来年中に子供達やスポーツ代表団による交流が実施されることになる。
ヴラヂーミル・パク市長は漁師の日の祝賀前日に日本の代表団をネヴェリスクに受入れる準備を表明した。
このように稚内からのお客は観光名所を見るだけではなく、伝統的な地域の行事に参加することもできる。
両市の友好交流の樹立に向けられた式典は言うまでもなく、ネヴェリスク市民の愛する祝日のうちの一つは、両方の日がその重要性、唯一無二のものであることと特別な意義を持っているので、異なった日に行なわれることになる。

今日ネヴェリスクで沿岸警備隊の新しい哨戒艇“PS-824”の対面式が行なわれた。
1年半前にネヴェリスクで新しい“PS-819”が職務に就いたにもかかわらず、類のない出来事である。
“PS-824”は国境哨戒船22-120の新しい設計の中心的な船であり、それは以前の全ての船よりはるかに大きく、強力な近代的船である。
船ではシリーズで新しい船を動かすための全ての設計決定の検査が行なわれることになる。
“アルマーズ”合同造船所から哨戒艇はネヴェリスクに忘れられた北方海路で同伴なしで、自力でやって来た。
ネヴェリスク市民が船の乗組員であった。
船長S.パナリンの見解によれば、乗組員は故郷の岸に船を受け入れ、体験し、案内するという自らの任務をやってのけたとのことである。
船自体も自らを立派に示し、実際船は氷をかき分けて進み、チュコトカの沖でしけを乗り切らなければならなかった。

8月19日野外のもと海岸での2度目の陶器の野焼きがネヴェリスクで行なわれた。
芸術学校の生徒と日本から、さらにはコルサコフ、ドリンスク、ネヴェリスクと州都からの名人が焚き火の底に120点以上の作品を並べた。
「このような行事を行なうことの企画を我々に日本の陶芸家である岡井仁子が提案した。
昨年彼女は我々に手紙を送ってきて、我々は彼女に賛同した。
陶器の野焼きはネヴェリクスの一種の名刺になると私は考えている。
昨年の行事と比べて参加者としかるべく、作品の数が著しく増えたことは喜ばしいことである」と、ネヴェリスク市長ヴラヂーミル・パクは指摘した。
陶芸家岡井仁子は国富町(九州の宮崎県)に住んでいる。
彼女は何年も前にネヴェリスクに来て、今は町の外観に著しい肯定的な変化を目に留めていることを語った。
「陶器の野焼きは1万2千年以上前にその存在を始めた縄文時代の古代の日本の伝統である。
22年前に伝統は日本で復活された。
昨年私たちは隣の島であるサハリンと伝統を分かち合うことを決めた。

3月11日に日本を襲った震度9の地震と津波は多数の人的犠牲者と悲惨な破壊をもたらした。
サハリン州と北海道の都市はずっと前からの善隣関係と姉妹都市交流を結んでいる。
ネヴェリスクにも日本の北に姉妹都市稚内がある。
日本の東北沿岸で起こった天災とその結果は全世界を揺さぶった。
多くの国々が支援の用意を表明した。
隣人の不幸はネヴェリスク地区の住民も無関心にさせなかった。
被災者のための慈善の資金集めについての広告に多くの人が反応した。
今日現在ネヴェリスク市管区市役所の職員だけで11万8千ルーブル以上が集められたと、ネヴェリスク市役所のホームページで伝えられている。

2月22日7時10分(サハリン時間)宗谷海峡クリリオン岬南西寄りのロシア連邦排他的経済水域で沿岸警備サハリン国境警備局の職員によってロシア船“PCX88-61”号(登録港ネヴェリスク、乗組員は4名のロシア連邦市民)が拿捕された。

漁師の緊急会議が12月17日ユジノ・サハリンスクで行なわれた。
会議にはアニワ、コルサコフ、ネヴェリスク、ポロナイスクとサハリン州の他の地域からの水産企業の代表者がやって来た。
議題にはまさに今のところ未解決な問題が上った:ごくわずかの漁業区画の使用契約を認めることについての連邦漁業庁サハリン・クリル地域局の訴状についてである。
世論や地元当局の強い圧力のもとで局の幹部は217件の訴訟を取り下げたが、19件は裁判中のままである。
そのうちの8件に関して第1審の裁判はすでに判決を下し、それは漁師の勝ちではなかった。
サハリンの最も大きくて最も古い漁業コルホーズである。
“クラースナヤ・ザーリャ”、“ソユース”、“ドゥルージバ”が漁業区画を失った。

サハリン州建設大臣エレーナ・イヴァショヴァはネヴェリスク地区への出張を行ない、そこで2007年の地震結果の処理枠でネヴェリスクで建てられている施設の建設問題に関わる会議を行なった。
会議にはネヴェリスク市管区市長代行ヴャチェスラフ・パンと請負会社の代表者が参加した。
ネヴェリスクでの3つの重要な施設(普通教育学校、110人収容の幼稚園、地区文化会館)のオープンはすでに10月の最終日に予定されている。
これらの施設工事は事実上完全に完了している。
現在施設への家具の配送が待たれており、技術的設備の納入と組立が行なわれている。

サハリン漁業・海洋学研究所の科学者との相互活動で沿岸警備サハリン国境警備局の職員は自然の生息環境へ36トン以上(37,603パイ)のズワイガニ(オピリオン)を放した。
高価な貨物を国境警備隊は10月初めに漁船“スヴィオラ”号で発見した。
“スヴィオラ”号はロシア連邦船籍(登録港ネヴェリスク)で航行し、12名の全乗組員はロシア人である。
監視・検査対策の過程で船倉でズワイガニ(オピリオン)の入った17のあふれるばかりの水槽が発見された。
そのうちの一つだけの中身は2,5トンの重さがあった。
船内のカニの総重量は36,535キログラム(37,860パイ)になり、その漁獲を許可する書類は提示されなかった。

30年以上ネヴェリスクと稚内は姉妹都市関係を結んでいる。
重要な要素の一つとなっているのは、商工会議所ラインでのネヴェリスク研修生の姉妹都市への派遣についての協同協定書の毎年の調印である。
ネヴェリスク、ユジノ・サハリンスク、コルサコフから80人以上の専門家がすでに北海道で研修を修了した。
彼らは経済の様々な分野で深い知識や技能を得て、現在広く現場の自らの職業活動で知識や技能を利用している。

ネヴェリスク市管区市役所で日本の芸術家オカイ・ヒトコ、姉妹都市稚内の代表者、タタール海峡の陸上で行なわれた陶器の野焼参加者であるミハイル・ブガーエフとパク市長の会談が行なわれた。
会談の最初にオカイさんは暖かい歓迎と野外での陶器の野焼をネヴェリスクで行なうことの許可に対して市長に感謝した。