稚内日ロ経済交流協会

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ホテル“サハリン・サッポロ”指導部は企業の奇襲占拠の企てについて表明した。
10月29日しかるべき訴えが“サハリン・クリル”通信社編集部に入った。
企業の責任者ニーナ・フィリポヴァは乗っ取りの企てはすでに20年にわたっておこなわれていることを伝えた。
N.フィリポヴァの話によれば、10月22日管理部の活動を封鎖して、ホテルを占拠した10人以上のメンバーから成る民間警備会社“ブロクポスト”社の支援のもとに自らを“新しい社長”として宣言した弁護士アンタコフによって組織されたホテルの事実上の奇襲占拠が起こったとのことである。
訴えの本文にはまた10月24日ホテルは民間警備会社“ブロクポスト”の職員によってホテルの外周沿いに自分達の車輌を並べることで封鎖されたことが述べられている。
ロシア内務省サハリン局の情報によれば、ホテルからの信号は警報ボタンに2度入り、両ケースのどちらも現場へ巡回パトロール、所轄官庁外警備の職員、またユジノ・サハリンスク市内務部の取調官も出勤した。

サハリン漁業・海洋学研究所(サフニロ)と道立水産試験場の第43回科学者会談が先週末にユジノ・サハリンスクで行なわれた。
毎年双方はサハリンと北海道の水域の複合的な共同研究を行なっていると、サフニロの研究責任者スヴェトラーナ・ルダコヴァが伝えた。
日本の3人の代表者:サケ・マスと淡水漁業研究所所長、稚内水産試験場と中央水産試験場の研究員は水生生物(海と淡水生物)とそれらの生息環境の研究に向けられた報告をサハリンへ持参し、また同じようなテーマに関するロシア側の発言もじっくり聴いて、討議した。
会談の第1部は海でのサケ・マス幼魚の移動に触れ、第2部はホッケの研究に触れた。
タタール海峡の水化学状態の観察が報告部分を仕上げた。

地方自治体経営と開発分野で長期社会経済と都市建設計画の書類立案を専門とするサンクト・ペテルブルク地域計画研究所“ウルバーニカ”はロシア建築家同盟と共同でロシアの百大都市の一体的な格付けを仕上げた。
ユジノ・サハリンスクはその中で十分に高い11番目の地位を占め、極東連邦管区での他の隣人よりもはるかに上である。
例えば、ペトロパヴロフスク・カムチャッキーは39番目に、ハバロフスクは43番目に、ウラヂオストックは99番目を占めている。
“ウルバーニカ”の格付けリーダーとなっているのは、スルグート、チュメニ、クラスノダルであると、研究所ホームページで伝えられている。

日本の代表団は10月14日“サハリン給水”社を訪問した。
“光合金”社の役員ナガシマ・ヨウイチと北海道銀行事務所代表ミカミ・ノリヒトは給排水問題を担っている企業間での相互協力の調整のためにユジノ・サハリンスクに到着した。
“サハリン給水”社報道部が伝えているところによれば、最初に水処理技術と飲料水の中の天然鉱物の除去問題が検討された。
ナガシマ・ヨウイチは“光合金”の開発を紹介し、“サハリン給水”社に日本でうまく利用しているマンガン砂に基づいた技術を導入するよう提案した。

サハリン州立美術館は初めてサハリン合気道連盟会員の出演のための場となった。
このような独創的な方法でここでは日本基金(東京)とサハリン州文化省が主催者となった“武道精神:日本武術の歴史”展示会が開設された。
日本基金は3つの方針で世界130ヶ国で活動を行なっている:芸術と文化交流;海外での日本語教育;日本での教育と知的交流である。
“武道精神:日本武術の歴史”展示会は州文化省でそこにサハリンを含めて、このはなはだ人気のある企画展示の地理を広げるアイディアが起こった2010年の春から準備をした。
美術館の多くの展示企画の中でこの展示会は、サハリンで日本の伝統的民族武術がどれだけの崇拝者を有しているかを考慮しながら、明らかに最も集中された注目に運命づけられている。
現在日本では平安時代(8-12世紀)から自らの歴史を数える500以上の武術流派が活動している。
様々な武器での専門化を考慮して、弓術(弓からの射撃)、馬術(武器を持っての軍事装備での騎乗)、剣術(剣を持った闘争術)、柔術(つかみ合いの闘争術)が現われた。
古代からの年と同じほど戦士の闘争精神の反映として実利的文化も有している。

9月16日ユジノ・サハリンスク市の商業センター《シティー・モール》で北海道からの食品と商品の見本市が開設された。
小池在ユジノ・サハリンスク日本総領事はその開会式で見本市の主催者と訪問者をロシア語で祝った。
彼は見本市がサハリンと北海道間の経済交流の強化に寄与することの期待を表明した。
「両地域間では絶えず相互信頼が増し、新しい協力形態が発展している。
北海道にはサハリンの資源が必要であり、我がサハリンには北海道の先進的技術が必要である。
我々の相関関係がやっと深まっていくことを私は確信している」と、州農業・貿易・食糧省次官インナ・パヴレンコは強調した。

セメント生産工場の開設式典がユジノ・サハリンスクで行なわれた。
これは中・ロ合弁企業であり、そのメンバーには黒龍江省の輸出入会社“ルンシン・ジュイカイ”社と生産・建設組合“べトン・サービス”が入った。
工場の建設は2011年の冬に始まった。
工場の開設式にサハリン州政府副首相セルゲーイ・ヴィリヤモフ、建設大臣エレーナ・イヴァショヴァとサハリン州議会ヴラヂーミル・エルレモフが参加した。
「これはサハリン州で大変重要な出来事である。
現在我々には自分のセメントがあり、建設のテンポは天候条件によって時々閉鎖されるヴァニノ―ホルムスク間のフェリー航路にさほど強く左右されないことを意味する」と、セルゲーイ・ヴァリヤモフは述べた。
生産・建設組合“べトン・サービス”組合長セルゲーイ・ヤンが語ったところによれば、セメントの生産ラインは完全に自動化され、環境的に安全であるとのことである。
工場は最新の技術で建てられた。
作業には空気の濾過と浄化の3重システムが使われている。
もし排出基準を越えるなら、設備は自動的に生産を遮断する。

ユジノ・サハリンスクでサハリン州と北海道の恒例の住民会談が始まった。
すでに6回目のこのイベントは“ロシア-日本”協会と“日本-ロシア”協会によって行なわれている。
とは言え、“住民会談”、これは公式行事の正式名称であり、それには決してありふれた住民でない人達が参加しており、サハリン側からは州政府の役人、“ロシア-日本”協会サハリン支部、また地元観光会社の責任者、日本側からもほぼ同じようなメンバーが参加している。
旅行会社の参加は会談のテーマである“サハリン州と日本の観光潜在力”を前提としている。
現段階でテーマは日本側にとって非常に大きなものとなっている。
福島原子力発電所での事故後に日本への観光客の流れは急激に減少した。
そのために日本側は人々の危険を吹き払う目的で至るところで様々な対策を行なっている。
歓迎の言葉で北海道の高原副知事は、北海道では放射線状況の恒常的モニタリングが整えられており、何も現われておらず、人々は事故前と同じように暮らし、働いていることを特別に強調した。
その後に観光客も同じように北海道に来てくれることの希望を表わした。
これと関連して明日“北海道観光”、“宗谷管内観光”、“紋別市観光”のプレゼンテーションが予定されている。

サハリン鉄道の鉄道機械と歴史博物館は変わらない人気を博し続けている。
先月だけでここを日本からの2つのグループが訪れ、年始からサハリン住民だけでなく、多くの市のお客も含めて、約5百人が博物館を訪れた。
「我々の博物館の人気は年毎に増している」と、極東鉄道サハリン地域責任者アンドレーイ・ヴァウリンは伝えた。
「第一に、博物館はあらゆる部門での独自性で唯一のものであり、一番大切なことは、まさにここでは前世紀30年代-40年代からサハリンで稼動していた鉄道機械のユニークな展示品が紹介されていることである」。
博物館での鉄道員の展示品の選別は、その前館長であり、サハリン鉄道の功労者ユーリィ・アルガヂェヴィッチ・プロセルコフのおかげで実際に豊かで、バラエティーに富んでいる。
これは樺太時代の日本製の車両と除雪車、前世紀30年代の国産建造の蒸気パワーショベルとミニ蒸気機関車;サハリンのトンネルの改修用に特別に製造された坑道掘進シールド、ソヴィエト時代の機械、サハリン北部のノグリキ-オハ間の現行狭軌鉄道のかつての列車、その他多くの展示品である。

コルサコフ市と稚内市間の姉妹都市交流は今年20年になる。
多くのコルサコフ市民にとって国際協力のこの長年の歴史はコルサコフ港と稚内港間の唯一のロ・日フェリー航路、様々な協力の方向性(スポーツ、文化、隣国の言語学習分野での学校交流)での児童や青年代表団の交流、農業、水産業や観光分野での経済協力と結びついている。
共同の国際協力の全てのこれらの方向は姉妹都市であるコルサコフと稚内間の輪を結んでいる在ユジノ・サハリンスク稚内事務所の直接参加のもとで行なわれている。